芒野を風に吹かれて杖をさげて
遍路ゆくなり・あれ山頭火
【写真】地方廻りのえびすさん・四万十川鉄橋にて 36.12
小谷貞広写真集「ゆく河の流れ」1980より
■鈴をふる
遍路の旅をつづける。隣の遍路が家の軒の前に立ち止まって、しきりに鈴をふる。顔はよく見えないが、鈴をふる手に力がない。老女の遍路である。老いたその肉体に衰えが見てとれる。
老遍路は、人生を旅とし、旅の中で年老いてしまったのであろう。死ねない手で、一心に鈴をふる。わたしも、いつまで旅をし、遍路をつづけるのだろうか。老婆が早いか、こちらが早いか。死はすぐそばまできている。
死ねない手がふる鈴ふる (山頭火)
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[山頭火の独り言]
■遍路の正月
私もどうやら思い出を反芻する老いぼれになったらしい。思い出は果てもなく続く。昔の旅のお正月の話のひとつ。
私はとぼとぼ、伊予路を歩いていた。師走の街を通りぬけて、場末の安宿に頭陀袋をおろした。同宿は老爺遍路。すっかりお正月の仕度。いかにも遍路らしい飾りつけが出来ていた。
正面には弘法大師の掛軸、その前にお納経の帳面、御燈明、線香、念珠、すべてが型の通りであったが、驚いたことには、右に大形の五十銭銀貨が十枚ばかり並べてあり、左に護摩水の一升瓶が置いてあった!
私は一隅に陣取ったが、さて飾るべき何物も持っていない。破れ法衣を掛け、網代笠をさげ、柱杖を立て、頭陀袋をおいて、その前に座ってぼんやりしているより外はなかった。
そこで新年を迎えた。ありがたくも私の狐寒は、その老遍路さんの酒と餅と温情とによって慰められ、寛ろげられた。(山頭火)
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[山頭火と四万十川] 四万十川新聞【日曜版】最終版より
山行水行
山あれば山を観る
雨の日は雨を聞く
春夏秋冬
あしたもよろし
ゆうべもよろし
これは、山頭火の「四万十川の詩」ではありません。山頭火は四国遍路の旅で、一度は四万十川を訪れているはずですが、その紀行、俳句を記してあるべき日記を焼き捨てたため、四万十川と山頭火を結びつけるものが、全くありません。
山頭火が四万十川のほとりを逍遙すれば、恐らく、このような詩心・歌心であったものと思われます。
『焼き捨てて日記の灰のこれだけか』(山頭火)
■
寒い朝
北風吹きぬく 寒い朝も
心ひとつで 暖かくなる
清らかに咲いた 可憐な花子を
緑の髪にかざして 今日も ああ
北風の中に 聞こうよ春を
北風の中に 聞こうよ春を・・・
『うしろすがたのしぐれてゆくか』(山頭火)
四万十川新聞【日曜版】 終わり・・・
『削除してITメディアのこれだけか』(山藤花)